teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


(無題)

 投稿者:九鬼蛍  投稿日:2016年 5月23日(月)18時02分44秒
   書きこみありがとうございます。通知を見逃して、レス遅くなりました。すみません。

 9番の3楽章、そのもので考えると確かにその通りですね。問題は、9番は4楽章があるということ……10番にしても、終楽章に明らかに救いがあるように感じます。

 ペッテションの交響曲に、マーラーのような最終的な救いというのは、もし亡くなっていなかったら、16番以降の交響曲でいつかは現れたのでしょうか……。

 いや、けっきょく、現れないでしょうね。

 
 

ふと気づきました

 投稿者:  投稿日:2016年 5月16日(月)07時47分44秒
  長い闘争の果てにユートピアが訪れたと思ったら再び闘争の中に帰って行くペッテション交響曲の曲想、よくよく考えたらマーラーの交響曲第9番の3楽章に似てるような・・・。  

(無題)

 投稿者:九鬼蛍  投稿日:2016年 3月18日(金)00時50分12秒
  がんちゃんさん、ありがとうございます。
リンクはご自由にお願いします(^ω^)

 

リンク報告

 投稿者:がんちゃん  投稿日:2016年 3月16日(水)23時45分25秒
  初めて書き込みいたします。
福岡市でときどき吹奏楽やっているHNがんちゃんと申します。
これまでの経験上、現代音楽に近い部分に親しみあった延長でこのサイトに辿り着きました。
自分の好きな方向で興味深い内容多いことから、貴サイトをリンクしたこと報告します。

お時間あるときに弊サイトも訪問頂けると幸いです。

http://www.ric.hi-ho.ne.jp/capeshell/

 

(無題)

 投稿者:九鬼蛍  投稿日:2016年 2月28日(日)16時56分24秒
  いまマーラーを識るを確認しましたが、正確には、ナターリエ・バウアー=レヒナーの証言という形で、マーラーよりの手紙の中で、直接的ではないがそのようなニュアンスの旨が書かれており、前島氏も「本当だろうか? いくら長くなっても最後の10分くらい、関係ないように思われる」という趣旨に書いてあります。

しかし、マーラーが、第1楽章は演奏時間に45分ほどかかると思っていた(ので、さすがに7楽章をカットした)

また6楽章はマーラーの構想では「死の訪れによる魂の平安」を表現しようとしたものらしい、ことを考えると、そもそもその後に天国の描写が来るのは、はじめから不自然だったのではないか、とあります。
 

(無題)

 投稿者:九鬼蛍  投稿日:2016年 2月28日(日)16時38分7秒
  こんにちは!

もちろんマーラーの本心は私にも分かりませんし、本音の部分もあると思うんですが、マーラーが手紙で自らそう書いてるようなので、表向きには、これは間違いないようです。

ただ、おっしゃる通り、裏の考えもあると思います(笑)
 

無題

 投稿者:ume  投稿日:2016年 2月28日(日)03時22分21秒
  返信ありがとうございます。

オススメいただいた本は未読ですので、ぜひとも読ませていただきます。
1楽章が大規模になってしまって初めて、
「長すぎる」とマーラーが判断して7楽章をカット。との事ですが、
そんな単純な理由で、マーラーが己の創作信念を折ったとは思えないのです。
そう簡単に己の信念を曲げないのがマーラーという人間だと想像するからです。
長すぎるなら1楽章などから部分的にカットは出来なかったのでしょうか・・?
「長すぎる」からカットしたというのは表向きな理由なんじゃないかと勘ぐってしまいます。

前島良雄氏がその本音を隠していたとしたら・・・?
それは私の考えすぎだとは思いますけどね。

すみません、私自身知識不足なので、これ以上は控えさせていただきますね。
 

(無題)

 投稿者:九鬼蛍  投稿日:2016年 2月27日(土)15時07分45秒
  ume様のご意見を参考に、少しマーラー3番の項を直しました。  

(無題)

 投稿者:九鬼蛍  投稿日:2016年 2月26日(金)21時03分18秒
  書き込みありがとうございます。

なるほど!とても興味深い考察です。マーラーという人物は、ものすごい多面性と単純性を併せ持った人間だと思うので、いろいろな考察ができるのが楽しいですね。

ユダヤ人にとって、ユダヤ教は絶対の筈なのに、ヴィーン歌劇場監督の地位のために?あっさり改宗してしまっているあたりも、確かに見逃せません。

ところで、私も最近読んだのですが、フローロスの訳者である前島良雄の「マーラーを識(し)る 神話・伝説・俗説の呪縛を解く」と「マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来」はお読みになられましたか? まだでしたら、これは必読です。

それによりますと、3番は1楽章が最後に作曲され、その時はまだ7楽章制でした。そして1楽章があの規模になってしまって初めて、「長すぎる」とマーラーが判断して7楽章をカット。そして(ここが重要なのですが)「6楽章のラストを書き直した」のだそうです。

つまり、いま我々が知る6楽章のあの壮大なラストと、7楽章制だった時の6楽章のラストは、異なるもののようなのです。

で、草稿が残ってないようなので、具体に何がどうどれくらい異なるのかが分からない(少ししか違わないかもしれないし、全く異なるのかもしれません)ので、これ以上は何とも言えませんが、意外に7楽章が無くなった理由は、いろいろ我々が考えている皮肉や神の肯定否定の内容もあるだろうにしても、反面、現実的物理的にもっと単純なものだった可能性があると思います。

マーラーだったら、その両方(両面)を同時に思考・判断していたでしょうね!

 

マーラー 第3交響曲について

 投稿者:ume  投稿日:2016年 2月26日(金)17時20分46秒
  お久しぶりです。

マーラーの第3交響曲の解説ページを読ませていただいた際、
少し浮かんだ疑問がありました。記事から引用させていただきます。

_______________________________

1、2、3楽章 → 大いなる自然の描写、自然の中の人間の営み

4楽章 → ニーチェ流の、人間よ、神は死んだ、人間万歳!

5楽章 → 神はいう、ペテロよ 「常に神だけを愛しなさい!」

6楽章 → 神だけを愛します!
_______________________________

これのみを聴くと、聴衆も大喜びするのは当然です。
これに、当初7楽章としてくるはずだった4番の4楽章を加えて、

____________________________________

1、2、3楽章 → 大いなる自然の描写、自然の中の人間の営み

4楽章 → ニーチェ流の、人間よ、神は死んだ、人間万歳!

5楽章 → 神はいう、ペテロよ 「常に神だけを愛しなさい!」

6楽章 → 神だけを愛します!

7楽章 → 神様を信じて来てみたら、天国はこ~んなところでしたァ(ゲス顔)

_____________________________________

となるのはすでにご存じと思います。
つまり、当初マーラーが計画したこの構想にこそ
マーラー流の大いなる皮肉が詰まっていると思ってしまいます。
7楽章「天上の生活」は歌曲の「この世の生活(子供が空腹だからパンを焼いていたら餓死してしまった)」と対になっていますので、
つまり「神を信じても救われない」という思想を、
神を信じる事は素晴らしい!何が何でも神を讃えよ!という壮大なる茶番として1~6楽章を作曲、7楽章で本音を
暴露。という形で表現しようとしたのではないか、と思います。
しかしこれではまずい→7楽章削除。なのではないかと、邪推してしまいます。

4番でそれを実現したとはいえ、もし3番で実現させていたら猛反発されていたと推測できます。



マーラーは若い時からずっと死が身近にあったようですが、
それゆえ「神は助けてはくれない」と思ったのか「信じていれば絶対救われる」とより強く思うようになったのかは
知りません。

私個人としては、マーラーは無神論者だったのではないかと思うのですが、
金子建志氏が指摘したように、神を象徴する「ロマネスカ・バス」(ド・ソ・ラ・ミ~)を第9に使っているあたり、
一筋縄でいかない人だと思わされます。
 

レンタル掲示板
/24