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故郷はいいものでした

 投稿者:長谷川  投稿日:2015年 5月30日(土)13時02分5秒
  日本列島火山国、これから活発になっていくようで不安です。影響ある地域にお住まいの方々ご苦労様です。
早川さん、山内さん萩旅行の写真ありがとうございました。
旅行後、クラス会に参加し、友人宅を訪問し野菜を貰い、そして実家に帰ったり、とてもゆっくりした旅で、命の洗濯をしました。
京都に帰るのがいやになるくらいでした。実家はなにもありませんが、故郷はいいものでした。
京都に帰れば、家の隣にビジネスホテルが建設されるので、これから一年間どのような影響があるのかと、いやだなあと思うこの頃です。
一三回生のみなさん、お互い元気でいましょう。
 
 

写真有難う

 投稿者: 鶴田  投稿日:2015年 5月29日(金)20時58分36秒
  今朝5時過ぎ、桜島の爆発音で目が覚めました。
鹿児島市内に火山灰が降り注ぐ中、用事を済ませて帰ってみると
口永良部島の火山が大爆発しており驚きました。
窓を閉めて悶々としていると、靖ちゃんから萩旅行の写真が届きました。
火山灰のことも忘れて見入っています。
靖ちゃん、有難う!
明日は雨とか。灰を流してくれると思っています。

 

「カワセミ」の模様

 投稿者:Mr.Walk  投稿日:2015年 5月28日(木)07時20分32秒
   やまうちさん、5/23・5/25にカワセミの模様を見るため中央公園:金毘羅池へ行きました。
不思議と8:00前後に1羽を確認でき、その後はサッパリでいまいち活動が弱いようです。6月中旬に
なると、雛を連れた親が柳の枝に留まる様子が見れると思います。しばらくお待ち下さい。
 

7日目の月

 投稿者:山口  投稿日:2015年 5月27日(水)21時59分42秒
   旅行おつかれさまでした。お世話頂いた福岡組の皆さま、有難うございました。
1年ぶりの再会、楽しゅうございました。

 最近晴れた日が多く夜空を見上げています。
諫早でも上弦の月きれいでした。
今月は長くは出ていない三日月も見ることが出来ました。
望みをかなえてくれるということをすっかり忘れて何も願わないで
見てました。
 

綺麗な月

 投稿者: 鶴田  投稿日:2015年 5月27日(水)05時45分54秒
  綺麗な月ですね。
昨日はあの猛暑の中、ゴルフコンペでした。
夜はビールをがぶ飲みし、寝てしまいました。
猛暑を忘れさせる綺麗な月ですね。
 

ご機嫌な「上弦」の月

 投稿者:やまうち  投稿日:2015年 5月26日(火)23時07分17秒
  久しぶりに「上弦」 月を撮ることが出来、ご機嫌な気分で過ごしています。  

USB旅行写真

 投稿者:やまうち  投稿日:2015年 5月26日(火)21時15分45秒
  旅行ご苦労様でした。本日USBの方だけには写真お送りいたしました。アルバムの方
は2~3日お待ちください。できあがり次第発送いたします。
 

ご苦労様

 投稿者: 鶴田  投稿日:2015年 5月25日(月)05時57分39秒
  幹事 後処理まで大変でしたね。
お陰で楽しい思い出が出来ました。
これからもXYZの気持ちで行きたいと思います。
 

同窓会旅行の思い出-21(最終編)

 投稿者:Mr.Walk  投稿日:2015年 5月24日(日)18時58分7秒
編集済
  いよいよ、「花燃ゆ」の旅も、最終コーナーです。小倉城は幕府による第二次征長戦争において、高杉晋作が勝利した場所で明治維新のきっかけとなった場所ともいえます。第一次征長戦争において長州軍は敗退し、三家老切腹、藩主は謹慎という形で幕府に恭順しました。

 高杉晋作の働きでその後、討幕を掲げることになった長州藩は、土佐浪士の坂本龍馬の仲介で、西郷隆盛の薩摩藩と薩長同盟を結びました。 八・一八の政変(京都を追われる)以来、対立が続いていた長州藩と薩摩藩でしたが、 ついに団結するときがやってきました。
6月にはいると幕府征長軍が、長州藩領を四方から取り囲み、攻撃を仕掛けました。 四境戦争の始まりです。 長州藩の藩境は4ヶ所あり、芸州口、大島口、石州口、小倉口の、 それぞれの藩境で戦いが行われたため、四境戦争と呼ばれました。 第二次長州征伐などと呼ばれることもあります。
幕府は、まず大島口を攻撃、あっと言う間に周防大島を占領してしまいました。 この知らせを聞いた長州藩は、高杉晋作を現地に派遣しました。 晋作は、幕府の軍艦に対して夜のうちに奇襲をかけ、あっさりと撃退してしまいました。
芸州口、石州口でも戦いが開始されましたが、芸州口では井上聞多、 石州口では大村益次郎の活躍により、勝利しました。

この結果、錦の御旗を頂くことになった新政府軍が明治維新を達成できるようになった次第です。

小倉城は雨の為、バスからの見物となりましたが、歴史的には意義のあるお城であった訳です。「花燃ゆの旅」もこれでおしまい、皆様方、お疲れさまでした。

 

同窓会旅行の思い出-20

 投稿者:Mr.Walk  投稿日:2015年 5月24日(日)18時05分9秒
  門司港レトロで忘れていけないものが門司港駅です。九州から見れば、本州また大陸進出への出口でした。

明治二十四年に建てられた門司駅(現在の門司港駅)は、大正三年に場所を二百メートルほど移し、現在の場所に立て替えられました。ネオ・ルネッサンス調の木造建築で、ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの監修の下に建てられました。当時の駅のモダンさを知るにはトイレを覗いて見ると分かります。青銅製の手水鉢や水洗式トイレ(当時としては非常に珍しい)、大理石とタイルばりの洗面所、御影石の男性用小便器などはとても重厚でモダンな作りとなっているのです。二階にはハイカラなみかど食堂があり、鉄道を利用する客で大変にぎわっていました。この門司港駅、駅舎としては初めて国の重要文化財に指定されています。
 

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